ぼんやりとした不安ぼんやりとした不安 「唯、ぼんやりした不安」 そう書き残して自殺した芥川龍之介 才能に恵まれつつも その不安を取り除く事ができなかったんだろう 母親が発狂し精神病院で死に 彼は幼少期芥川家の養子となったわけだが 欠如したものを彼は補う事ができなかったのだろうか 人は誰しもそういった何かを抱えているものだと思うが どうやって、それと向かい合っていくのか、克服するのか 私にはその答えは分からない 子供の頃からずっと私は孤独だった 友達は沢山いた 私の周りにはいつも人が沢山集まってきた 私がする事すべて、みなが真似をした けれど私はいつも孤独だった 夕方になり、5時のチャイムがなると皆家に帰っていく 夕食の時間だから 私には夕食の時間などなかったから 皆と別れた後 私はいつも一人で川を見ていた 土手に座り 夕焼けを見ているととても心は和んだ 私の「心の声」は外に出ることはなかった 子供ながらにして自分の感情をコントロールする術を身につけてしまった私 悲しくても 寂しくても私には泣く場所がなかったから 感情を抑えなければならないと思ったのだろう あれから二十年以上たった今も 土手で川を見ていた時と同じ自分がいる ぼんやりとした不安を抱え 今もこうして生きているけれど 私は幸せだ 芥川のように死の道を選ぶことはないだろう 心が泣いている時 自分が閉じている時 私はその感情と向き合い 受け入れる けれど私はもう孤独ではない 目に見えなくとも 私の手を握ってくれている人たちが存在する という事を知っているからだ 躓いても又立ち上がればいい 立ち止まっても 又歩き出せばいい たとえ時間がかかったとしても 私は歩き続けるだろう 物事は思い通りには運ばない 物事には運び方というものがあるのだから その運び方を学べばいい 世の中器用に渡っているといわれる私 器用なのではなく そう見えるように振舞っているからだ その舞台裏を知る人は誰もいない |